80歳の悪遊び

50歳を過ぎてからMBAに挑戦するだけでも、我ながら無謀な冒険をするものだと思っていたけれど、上には上がいました。

なんと、「80歳になった記念に、悪遊びを企んでいる。東京から沖縄の名護まで歩いて縦断する。」と宣言する御大がいらっしゃるではないですか!

その方はヨシさん。名護市出身でNY在住の芸術家。家族ぐるみで長いお付き合いをしています。

80歳とは言ってもそんじょそこらのお爺ちゃんではありません。髪こそ真っ白ですが、60歳を超えてから自転車で「単独アメリカ大陸横断」に成功し、その後は毎年フルマラソンに出場するアスリート。

世界中を飛び回り、小さな赤ちゃんから超高齢者まで、年齢も肌の色も関係なく一瞬で友達になってしまう「永遠の少年」のような人。

ヨシさんとの再会を祝う家族の歓迎会で飛び出したのが「東京~沖縄間の徒歩縦断計画」宣言でした。ビックリしたけれど、きっとヨシさんならやり遂げることでしょう。

8月中旬を過ぎた頃に、日本橋をスタートするとのことなので、盛大に送り出したいと思います。

皆さんの街を、白髪の颯爽とした男性がリュックを背負って歩いていたら、それがヨシさんかも知れません。その時にはぜひ、気軽に声援を送ってあげてくださいね。

私も負けていられません。頑張るぞー!

番外編~ニコニコ超パーティ

いくら不定期更新を宣言しているとはいえ、更新しなさ過ぎだろ!と反省。
というわけで今日は番外編です。古いネタで申し訳ないのですが。

初音ミクが大好きです。娘から伝染りました。
「千本桜」は名曲です。オリジナルはもちろんのこと、小林幸子さんや和楽さんの歌うバージョンも最高。ピアノVer.はスマホの着メロだし、「ALL THAT 千本桜! !」のCDも超お気に入り。でも、カラオケで歌うときは酸欠に要注意です。

昨年はミクちゃん10周年ということで、マジカルミライに何としてでも行きたかったのですが、まあ、チケットの取れないことと言ったら。
代わりにと言っては申し訳ないけれども、11月初めの「ニコニコ超パーティ2017」に娘と二人で行ってきました。
開演13時で終演19時という、えらい長丁場のライブです。(出演者もわんさかいますが殆ど知らない人ばかり。)

会場周辺にはコスプレの人達がたくさんいて雰囲気バッチリ、気分も一気に盛り上がってきます。

小林さっちゃんの千本桜は本当に素晴らしかった。豪華衣装も煌びやかで素敵。
意外なところで興奮したのが「JALの岡本さん」が出演していたこと!あのキレッキレのダンスパフォーマンスを生で観ることができて最高でした。ああ、いつか名刺交換をさせて頂きたいものです。

さて、肝心のミクちゃん(やリンちゃんレンちゃん達)のパフォーマンス。
もちろん良かったですよ。でも、やっぱり時間も短かったし「もっともっと観た~~い!」と欲求不満が募ってしまったかな。
今年のマジカルミライは何としてでもゲットするぞ。

ライブ会場は無数のペンライトが大海原の波のように煌めいていました。
しかし、グッズ販売で買おうと思ったときには既に完売。あの場でペンライトを持っていないと、何だか仲間はずれのような気がしてくるから不思議です。

ライブが始まる時にMCさんが「隣の人と挨拶して」と言うものだから、隣に一人で来ていた青年と世間話を開始。「アタシ達、ペンライトを買い損ねちゃったのよねー」と愚痴ったらなんと、その青年が「じゃ、これ使います?」とリュックの中から2本も差し出してくれるじゃないですか。それも、私達が買いそびれた今日のライブ限定の新品と、マジカルミライ2017のペンライト!ありがとう、青年!君は今その手に持っている以外に2本も持っていたのだね。すごいぞ。 それどころか、宴もたけなわになったら更にもう1本取り出して、2本使いで上手に振り回していたね。一体、そのリュックには何本入っているのだい?
その青年の名前はもう忘れてしまったけれど、清潔感あふれて奥ゆかしく礼儀正しい好青年でした。イケメンだったし。本当にありがとう。おかげさまで初・ペンライト体験と初・ニコ超パーティを楽しみました。

おまけ画像。羽田に向かう伊是名島・伊平屋島上空で撮影。不思議な光が写っていて素敵でしょう?

 

 

 

二次面接~合格発表

二次面接の日は、一次試験とは打って変わって晴天のぽかぽか陽気。講堂のレンガ色と銀杏の金色のコントラストが美しいこと。まずは大隈先生にご挨拶。

 

高校生の甥っ子から、「坪内逍遥先生の銅像と握手をすると合格するらしいよ」との情報をゲットしたので、急いで記念館に向かいます。なんて美しい建築物でしょう!そして、変色している坪内先生の手は、一体どれだけの受験生と握手を交わしてきたのでしょうか。

おばちゃんが一人で銅像と握手している姿はきっと滑稽だったろうけれど、恥ずかしがっている場合ではありません。

 

 

面接はグループ分けされ、集合時間が指定されています。全部で何グループあるのかは、案内ハガキからはちょっと判らない。

面接の控え室は自由席。室内では携帯・スマホも、私語も禁止です。年齢もバックボーンも違う、シャキっとした大勢の男女が緊張した面持ちで静かに順番を待っている姿は、なかなかに厳かで迫力があります。

ネットで過去の面接の様子などをググると、「何時間も待った」「一人あたりの面接にじっくりと時間をかけている」などの声が複数あり。帰りの飛行機も翌日に回してあるし、何時間だろうとドンと来い。

ところが、実際の面接時間は約15分といったところでしょうか。次々に順番が回ってきます。

面接中は私の話がまどろっこしかったのか、質問に答えている途中で「時間がないから次にいくね」と途中で2~3回遮られて焦りました。けっこう緊張していたので全部の質問を覚えてはいませんが、

・(職務経歴から)銀行で最も学んだことは?

・会社の取締役会の一番の問題は何?

・会社が上場する予定はある?

といった質問が印象に残っています。

本当にサクサクっと終わってしまった二次面接。力を出しきったかと問われたら自信は無いけれど、少なくとも自分を「盛り過ぎず、謙遜し過ぎず」と素の状態で答える事はできたはず。

 

そして運命の合格発表は、面接から4日後の午前10時。

ホームページの画面に自分の番号を見つけたものの信じられず、再び同僚の部長(超冷静沈着)に確認してもらってからのガッツポーズ&ハイタッチ。

 

受験を思い立った8月の終わりから駆け抜けた3カ月間。出張が続いたり株主総会があったり、キィィィ~ッと目が回りそうな時もあったけれど、限られた時間の中だったからこそ集中できたのかも知れません。

 

年が明けて今は、ちょうど冬募集の一次試験が目前に迫っている時期。

もし、受験する方の目にこの記事が目に留まるような事があるとしたら、心からのエールを送ります。

さあ、私もこれからが本番。MBAを取得して仕事に活かすことが目的ですから、ちゃんと卒業できるように頑張らなくては!

一次結果発表、二次面接対策

一次試験の結果は、WBSホームページ上で11月16日の午前10時に発表されました。

自分の受験番号を見つけた時には、「見間違いじゃないか?」という不安の方が強く、同僚の部長(超冷静沈着)に確認してもらったほど。第三者の目で確認してやっと喜びが湧いてきました。

父に報告したら、「おめでとう!」と握手。あれ?父の手を握るなんて、何年ぶりだろう。最後に握手したのはいつだっけ。。。

 

二次面接は10日後の日曜日。

採用面接をする事はあっても、自分が受けるのは銀行時代の昇格試験以来、約20年ぶりのことです。

とりあえず面接は準備が命。ビジネススクールの面接では何が訊かれるのかをググりまくり、原稿に起こしていきます。

私が対策した想定質問は次の項目。

  • 自己紹介(履歴書にそってバックグラウンドを説明)
  • 研究テーマについて
  • 現在の仕事について
  • なぜMBAを取得したいのか?
  • なぜ今なのか?
  • なぜ、WBSなのか?
  • あなたにとってMBAの価値は?
  • これまでに達成したこと、リーダーシップを発揮した経験
  • 短期的な目標と長期的な目標
  • これまでの学校(学部)選択の理由
  • 学校のプログラムに関してどの程度知っているか?
  • 同僚とのコミュニケーションで気を付けていることは?
  • 会社内の同僚に指導はどのように行っているか?
  • あなたがリーダーとなり新しい取り組みを行う時、どのような方法論で行いますか? 過去の事例を話してください。
  • あなたの仕事はどのように社会に貢献していますか?
  • これまであなたが成し遂げた最大の業績を話してください。
  • これまでで仕事上の最大の挑戦は?
  • あなたが会社のトップであれば、どのような改革を実行しますか?
  • 自分自身の強みと弱み
  • 最近読んだ本は?
  • 課外活動などについて
  • こちらから面接官への質問

これらの質問に回答を準備するだけでアップアップ。

ええい、取り繕ってもしょうがない、あとはおばちゃんの度胸と愛嬌で勝負だ!

 

 

番外編3 辿り着けてよかった

WBSの一次試験は10月最後の日曜日。試験は午前9時集合なので、私は前日の土曜日には東京入りをしておかなければなりません。

しかしその直前、私は「物理的に受験できるのか?」という深刻な事態に陥っていました。原因は台風22号の発生。前週は21号が沖縄に接近し、週末には多くのフライトが欠航となりました。二週連続の週末台風です。

おまけに私は試験の2日前まで、業界団体の海外視察研修のため香港にいました。沖縄から香港に発つ日までは、22号は本島直撃をまぬがれる進路予想。「前週の久高島上陸も守られたから、たぶん大丈夫さー」と根拠のない自信を持ちつつも念のため、帰沖したその足で東京へ飛ぶこともできるように、受験票と筆記用具、冬支度をまとめて迎えの車に乗せる段取りだけはしていました。

唯一迷ったのは、受験票の「原本」を持って香港に飛ぶか、「コピー」を持って飛ぶか。海外で受験票を失くすリスクを考えたものの、今思うと直感が働いたのでしょう。受験票の原本を持っていくことにしたのでした。

視察中は充実したスケジュールを楽しんでいたものの、気になるのはやっぱり台風。22号は進路を変え沖縄本島へ真っすぐに進み始めています。これは危ない、沖縄までは予定通りに戻れても、翌日に私が上京するフライトの欠航は、ほぼ確実と思われます。

慌てて前日のフライトに変更しようと試みるも、既に全ての航空会社の全便が満席。私と同じように予定を早める観光客、ビジネス客が殺到しているのでしょう。

さあ困った、どうしよう?!「もしかして、受験できない??」と一瞬パニックに。

でも、そこはさすが旅のプロが大勢参加している業界団体の視察旅行。「nankuruさん、ここはもう迷わずに明日、香港から羽田か成田にお入りなさい」。旅行社の添乗員さんがいたことも幸いでした。ぎっしり詰まった視察スケジュールの合間を縫って羽田へのチケットを手配してくれたのでした。

天から試されていると感じていました。何が何でも早稲田キャンパスに辿り着き、回答用紙に受験番号と名前だけでも書いてやる!

沖縄へ帰る視察団と別れ、羽田行きの搭乗手続を済ませたら、次に解決しなければいけないのは「服装問題」でした。10月とはいえまだ真夏の沖縄と香港。当然私も真夏の軽装です。東京は異例の寒さと報道されているし、天気予報では雨マークまで出ています。羽田の到着ロビーで適当な服屋はあるのかしら?到着する時間帯に営業しているかしら?など心配事は次から次と湧いてきます。羽田からホテルまで、バカみたいに夏服で凍えながら歩きたくない!

すると香港国際空港の出発ロビーにMUJIを発見。駆け込んで爆買いです。下着からシャツ、コート、マフラー、折り畳み傘、そして受験用のボールペンと修正テープ。結局、香港滞在中に土産物の類はひとつも買えず受験対策用品ばかり。

羽田空港のトイレで冬物に着替えて、ホテルにたどり着いた時には、寒さと神経の疲れでヘロヘロでした。

そして受験当日。

雨が降り寒さの増した東京。スーツケースをゴロゴロ引きずりながら、再び大隈重信像が見えた時にはあまりにホッとして思わず拝んでしまいました。おかげさまで無事に辿り着けました。

回答用紙に名前だけでも書けたら満足、と思ってはいたものの、出題を見たら「レストランオーナーシェフの吉田さんが寝坊をした。さあ、ランチ営業をどうする?」問題。

「おいおい、こちとら必死で辿り着いたんだぞ。寝坊なんかしてんじゃねーよ、吉田さんよー」と心の中で毒づきながら、苦手な計算問題に没頭していったのでした。

番外編2 行けた旅~久高島

「神の島」と言われる久高島。島から呼ばれなければ行ってはいけないと固く信じていたため、50を過ぎてもまだ行った事がありませんでした。(呼ばれる、というのは各々のタイミングのことですから、あまり深く考えないでください)

それが何ということでしょう。東京の友人・ヤマさんが10月中旬の沖縄来訪中に、4度目の久高島訪問を計画しているというではありませんか。カバン持ちでいいから随行させてくれと、私は自ら「押しかけ初上陸」を頼み込みました。

いよいよ島に行く日程が近づいてきた頃に、またまた何ということでしょう。台風21号が発生。思いきりこっち(沖縄本島)に向かっているではありませんか。

台風の進路と速度からみて、ヤマさんご一行の沖縄入りには問題ありませんが、久高島への船便が運航するかどうかは微妙。そして東京への帰りのフライトはかなりヤバそう。

自然が相手の事ですから、現実に人間がコントロール出来ることと言えば、旅程の変更くらいです。それでもさすがヤマさん。あまりの過密スケジュールのため、何と台風が向かっている事すら知らないままに沖縄入りをしたのでした。

朝一番のフライトで到着したご一行と空港で合流し、ここから賑やかなおばちゃん4人の久高島詣での珍道中が始まります。

まずはレンタカーの手続きに時間のかかることといったら!おまけにカーナビは判りづらいわ、私は道案内を間違えるわ、道路は混んでいるわ、331号線では前を走る路線バスがいちいち停留所で停まるわで、まるで何かに引き止められているかのよう。

結局、港に着いたのは船が出た15分後。次のフェリーで向かったとしても、日帰り行程だから久高島には1時間くらいしか滞在できない計算。台風が接近中ですから、今日中に戻らなければ2~3日間、島で足止めをくう可能性もあります。

それでも簡単には諦めないのがおばちゃん達の強さ。だてに歳を取ってきたわけではありません。ダメ元であらゆる可能性に当たって砕けてみようと、既に渋滞のさなかにフェリー運航会社に電話をかけていました。

「あと5分で着くので待ってもらえませんか?」と無謀なお願いをしてあっさり断られます。いくらダメ元でも公共交通機関にちょっと待って、と言えた自分がちょっと怖い。

「そうだ漁船だ。漁船を出してもらえないか当たってみよう!」と、久高島に住むナエさんに電話で相談したところ、なんと「海上タクシー」なるものがあるというではありませんか。でも、安座間港にはそれらしき船は泊まっていません。全員でググりまくって情報収集。何度も電話してやっとつながった船長さんに事情を説明するも、

「台風が来るから、さっき島に戻った便で終わり。これから運休だよ。台風対策で船を陸に揚げるところさー」とのこと。いよいよ漁師さんを探さなければいけないかと思ったものの、「なぜ、今日中に私達が久高島に行かねばならないか」を滔々と訴え続けた私。根負けしてくれた優しい船長さんは、「仕方ない。これから安座間港に向かう。但し、往路だけだからね。復路便は出せないからね。」と渋々OKしてくれたのでした。

 

 

海上タクシー「ジュピター号」は、とても綺麗で快適な上に室内・室外の両方に座席があるので、海風と水しぶきを満喫できます。クルージング気分でおばちゃん4人も童心に返って大はしゃぎ。

島の港では、ナエさんが温かく出迎えてくれました。

久高島は島全体がパワースポットのようなもの。「久高島からは石ころひとつ、葉っぱのひとつも勝手に持ち帰ってはいけない」と言われています。

台風が接近しているとは思えないほど穏やかで美しい空と海、キラキラした太陽の光。空気もなんだか神々しく感じられます。島を回りながら、岡本太郎さんが「沖縄文化論」の中で、“「何もないこと」の眩暈”と表現していたことを思い出します。

ナエさんの導きで島のあちこちにある御嶽で祈ることが出来たのは本当にありがたいことでした。

結局、台風接近の気配など一切感じることもなく最高の天気に恵まれ、島で予定していた全行程を無事に終えることが出来たのは久高島の神様のおかげと皆で感謝。

復路はちゃんとフェリーに乗って帰ることが出来ました。東京からのご一行には初日からイレギュラーな珍道中でハラハラさせてしまったけれど、結果オーライでより印象深い久高島上陸になったかな?

ヤマさんといえば沖縄滞在の全行程を満喫し、那覇発フライトは欠航便の相次ぐ中、しっかりと予定通り(その日飛べた最後の便だとか)に帰京したのでした。さすがヤマさん!

番外編1 行けなかった旅

WBSを受験するなんて思いつきもしなかった8月初旬、私は手あたり次第にプライベート中心のスケジュールを手帳にぶっこみ始めていました。その頃の私は現実逃避中で、仕事から遠ざかる機会をいかに多く作るかというのが切実な問題だったからです。これについては、いつか機会があったら詳述しましょう。

最初のプライベート充実プランは友人のアヤさんと一緒に10月初旬の連休に京都・大阪へ2泊3日の旅。彼女の仕事のイベント視察に便乗して私も京都で寺社仏閣を巡り、大阪へ移動して念願の天満天神繁昌亭の落語を聴き、夜は久しぶりに会う友人と飲み明かそうと楽しい予定を立てていました。

関空へのフライトのチェックインを済ませ、アヤさんの到着を待っている時に鳴った携帯電話。「兄が病状悪化で急逝した」という、いとこからの報せでした。まだ40代の若さで、幼い子供を遺して逝かなければならなかったいとこの無念を思うと今も胸が痛みます。

飛行機に乗り込む直前に訃報を受ける事が出来たのは、天国のウヤファーフジ(ご先祖様)の采配かもしれません。報せのタイミングのおかげで直ぐに引き返し、諸々の対応をすることが出来たことに感謝をしています。

とはいえ、旅行のドタキャンで友人たちには迷惑をかけてしまいました。本当にごめんなさい。

それでもアヤさんは京都の北野天満宮で、私のために学業成就の御守りをお土産に持って帰ってきてくれました。

「今までの人生で、こんなに必死に祈ったことはなかったよ」と話す彼女から貰ったその御守りは、受験期間中ずっと私の鞄で軽やかな鈴の音色と共にゲンを付けてくれました。本当にありがとう!

対策なんて出来るの?~から実際の試験

一次試験の小論文はなんと「ボールペンを使用して手書き(!)」で回答しなければなりません。(修正液の使用は認められています)

このご時世、仕事も生活もキーボードとスマホで殆どの事が片付きますから、もう漢字も書けなくなっています。おまけに、私の字はスタッフが解読できずに難儀をさせてしまうほどの悪筆。

小論文対策以外に字の練習までしなきゃいけないのかよ、と青ざめました。思わず地元の本屋に走り美文字の練習本を購入。(結局、一度も練習できず本は新品のまま)

でも何より大切なのは字よりも中身です。まずは過去問研究。WBSの過去問題はホームページに過去2年分が掲載されていました。

  • 2016年秋募集 自動車メーカーの不正問題に関するもの(新聞記事あり)
  • 2016年冬募集 電子マネー市場を立ち上げた企業の経営分析系(グラフあり)
  • 2017年秋募集 米国ビジネススクール教授が書いた論文の一節をもとに出題
  • 2017年冬募集 働き方改革(副業解禁、週休三日制など)に関するもの

正直に言って、私にとってハードルが高過ぎる設問ばかりです。これらの問題に回答するだけでも、一体どれだけの勉強とリサーチが必要なことか。

願書を提出した時点で一次試験まで1カ月を切っており、カウントダウンは始まっています。その間に県外旅行、県内旅行、海外出張というスケジュールが入っていました。実質20日間くらいしか時間が使えない中で、過去問を分析したり回答している場合ではないのでは?

「これはもうヤマをはるしかない!」と思ったものの、出題範囲なんて経済・経営全般ですからヤマのはりようもありません。

とりあえず過去問に出た分野はもう出ないだろうと考え、それ以外の分野の情報収集のために集中的に日経新聞と経済雑誌を読み込むことと、露出の多いテーマについては漠然とでもいいから自分の考えをまとめることを心がけることにしました。

再び同僚の常務(超ロジカルシンキング)に相談すると、「試験の小論文に正解も不正解もないよ。自分の考えがしっかりしていて、それを論理的に説明できているかどうかが大切なんだよ」とのこと。よし、それならば時間の無い今の私には、知識という自分の「引き出し」を増やすことに注力するのみ。特にESG関連やガバナンス関連、女性活躍推進関連、EVやAI関連にはアンテナを高くして情報収集をしました。

そして受験当日。

出題内容と過去問とのあまりのカラーの違いに1分間くらい固まってしまいました。

ものすご~く端折って説明すると、「レストランオーナーシェフの吉田さんが寝坊をした。さあ、ランチ営業をどうする!?」というもの。

2018年秋募集の出題

個人的にはストーリー性のある問題文が面白かったのと、関連業界からの設問だったので、「自分事」として解答できたと思っています。

しかし。計算があまりにも出来なくて情けなくなりました。試験時間の大半を検算で使うことになり、設問に対する論理的記述がものすごく手薄になってしまったことを反省しています。字も後半部分は時間が足りなくてメチャクチャ殴り書きになったし。

試験に合格した今だから書けることかも知れませんが(いや、不合格だったとしても)、もう自分の提出した回答用紙は読みたくないし、何点の評価を貰ったのかも知りたくないですねえ。。。

帰沖して件の常務に出題の報告をしたら「行動経済学の問題だったんだね」とのこと。

すみません、よく判りません。これからちゃんと勉強します。

 

 

いざ、出願。

さて、過去問を見て真っ青になったものの、エントリー作業は粛々と進めなければなりません。

まずは出願書類の中でも取り掛かりやすそうな職務履歴とエッセイ1の「実務体験やこれまでに成し遂げてきたこと」から。

しかしながら、30年間の仕事生活を記述するというのは(それもたったの1000字で)意外に大変なもので、自分の半生を振り返る作業にも似ています。これから挑戦する方は、簡単でもよいので自分の仕事年表を作成しておくことを強くおススメします。将来、自分史を書くことがあったら役立つこと間違いなし。

エッセイ2の「キャリアゴール」とエッセイ3の「研究計画書」は、関連性が必要だと思われました。また、研究テーマの設定は、自分の仕事の課題解決に直結するものでないと、やる気も湧かないし根気も続かないものです。

学問と実利の一石二鳥を狙いたいので、私のテーマは「コーポレートガバナンスとファミリービジネス研究」に決定。いずれのエッセイも、限られた文字数で論理的な記述が求められます。私は、文章を書く事自体はそう嫌いではないですが、ついついエモーショナルなものになりがち。

なので、再び同僚の常務(超ロジカルシンキング)に赤ペン先生としてご登場願い、何度も添削をしてもらいました。常務、ありがとう!!        なんだかんだで出願期間までの1カ月間を、このエッセイ3点セットに費やしました。

あっという間に10月になり出願期間に突入。それまでに添削と書き直し、読み返しと書き直しの繰り返しでいい加減に疲れてきたので、出願期間の初日に速攻で提出!

さあ、次は一次試験の小論文対策が待っています。

「なんくるないさ」考

あけましておめでとうございます。

今日の沖縄は眩しい日差しが降り注ぎ、昼間は半袖で過ごせるほどの暖かさ。

近所のお寺で引いたおみくじは中吉。学問は「怠らずに励め」でした。神様はちゃんと見ておられますね。

さて、今日は当ブログの名前について。

「なんくる」は沖縄の言葉「なんくるないさ」から拝借しています。

今や全国でもよく知られている言葉で、「なんとかなるさ~」という楽観的な意味(ちょっといい加減な感じ)で使われることが多くなりましたが、実は本来の意味は違うことをご存知ですか?

もともとは、「まくとぅそーけー、なんくるないさ」という定型句で、その意味は、人として「まくとぅ(真・誠)=正しい事、行い」をしていれば、「なんくるないさ=自然とあるべき様になるものだ」ということ。

「人事を尽くして天命を待つ」にも通じ、個人的には「自分のベストを尽くしたその先は、畏怖の念をもって結果を受け入れること」と解釈しています。ある意味、祈りのようでもありますが、自分が汗をかかずしては使えない祈りです。

私にとっても皆様にとっても、「なんくるないさ」で素晴らしい2018年となりますように。